「ひろしあんちゃんとトロイメライ」

倉吉女声合唱団 杉川八千代

 

 私には、生涯忘れる事の出来ない名曲があります。私の母は五人兄弟で、一番下の弟が小学校の教師をしておりました。二十六歳の時婿入りしましたが、お嫁さんが県外の小学校でまだ此方に帰らせて貰えず、結婚したと言っても共に生活はしてなくて、実家から自転車で勤務先に通っていたのです。

 私の家と母の実家は隣り合せで、毎晩のように遊びに行っていました。この叔父の事を私たちは(ひろし)あんちゃんと呼び、みんなが大好きでした。夜になると趣味であるバイオリンの練習を始め、その曲が決ってシューマン作曲のトロイメライ。まだ練習中で決して上手とは思いませんでしたが、子供心にゆったりとした淋しい、悲しい曲に聞こえたのを覚えています。その幸せ一杯の(ひろし)あんちゃんに、突然不幸な出来事が起こってしまったのです。

 それは、忘れもしない昭和三十年七月十六日、全校水泳訓練が逢束の海で行われていた時、二人の女の子が海に溺れ、その生徒を助けようと海に飛び込み、二人の子供を救い本人は殉職してしまったのです。

 本当にいたましい事故で、お嫁さんは元より、両親、親戚中が悲しみに打ちひしがれ、幼い私達にとっても、何が起きているのか、なかなか現実として受け止めることが出来ず、大変ショックを受けました。

 ある時、東京の従姉妹から倉吉未来中心で、大谷康子さんのバイオリンコンサートがあるから、行きなさいと入場券を送ってくれました。帰りにCDを買い、大谷康子さんとお話しする事が出来たので、トロイメライのエピソードを話し、弾いて欲しかったと言うと、リクエストして下されば良かったのに、と言って下さったのです。又、二年後、大谷康子さんとの出会いがあり、今度こそと、受付で事情を話しリクエストをしました。すると楽譜があれば弾きますよとの返事、微かな期待を胸に客席に座って居ると、トークの中で突然私のエピソードを話され、これは○○さんのリクエストですと言って、私の大好きな思い出の曲、トロイメライが流れました。私の為に、こんな有名なバイオリニストに弾いてもらっていると思うと、嬉しさの余り涙があふれ、どうすることも出来ず、感謝の気持ちで一杯でした。

 夏が来れば必ず思い出す博あんちゃんの事、私が音楽が好きなのも、特にバイオリンの音色に魅せられるのも、みんな貴方のお陰です。有難う。貴方の功績をみなさんに知ってもらいたく、この文章を書くに当たってまず、お墓参りをして来ました。貴方に逢いたくなると、今でもふいに小学校前の石碑を見に出かけています。