倉文協だより  リレーエッセー

中野 隆

 

 私は尺八を吹いているのですが、今、私を指導して頂いている先生は古屋輝夫と言います。古屋先生の先生は横山勝也と言います。横山先生の先生は海童道(わたつみどう)道祖と言います。本名は知りません。3人とも素晴らしいです。横山先生は武満徹の「ノーヴェンバー・ステップス」を演奏しておられますので、洋楽関係の方でもご存知の方が多いのではないかと思います。海童道先生は人間離れした怪物と言えます。私は直接にはお会いしていなくて、CDなどでしか知らないのですが、演奏も超絶的ですが、横山先生の弟子の先生方に聞くところによると、奇人変人の部類だということです。

 話変わって、横山先生が亡くなられてから、奥様が横山先生の形見分けという事で、講習会に参加している人に好きなものを持って帰ってくださいという事で、いろいろなものを持って来られました。私は「埋もれた楽器」と「続ロベルトの日曜日」の2冊の本をいただいて帰りました。 「続ロベルトの日曜日」は作曲家の諸井誠が書いた「ロベルトの日曜日」の続編ですが、知り合いに貸したら帰ってきませんでした。本は人に貸してはいけないというのが教訓です。もちろん教訓は生かされていません。人のものでも案外大切にしない人が多いと思います。父からは、ページのめくり方、本のページを折ったらだめだ、という事をしっかり指導されました。そのために、ひとの本のめくり方が気になります。これって、箸の持ち方が気になるのと同じ感覚だと思います。もちろん本がきれいであれば良いと思っています。

後で気づいたのですが、「埋もれた楽器」の表紙カバーの写真は青谷上寺地遺跡で発掘された「弥生のこと」でした。 「こと」は琴か箏と書くことが多いのですが、正確に言えば琴と箏は違う楽器です。青谷上寺地遺跡で発掘された「こと」は個人的には箏だと思っていますが、どちらかわからないので私は「こと」と使っています。 せっかく横山先生の蔵書を頂いたのだから、この青谷上寺地遺跡で発掘された「弥生のこと」を復元してやろうと思い立ちました。 正確に復元しようと思ったのですが、およそ2000年たっているので発掘された部品も伸びたり縮んだりしているせいか寸法通りに部品図を作ると、組み立てられない部分が出たりしました。寸法変更は最小限にして、「弥生のこと」を作りました。 昔の人だから簡単な構造の楽器だろうと思うと大間違いです。青谷上寺地遺跡の「弥生のこと」はひと工夫もふた工夫もしてあり、素人が作ったのではないと思いました。 勝手な想像ですが、自分たちの「むら」が使うのか、または他の「むら」が使うのか分かりませんが、神との交信のために使うものであるため、手抜きなどという事は無く、最高の技術で作っていると思いました。 そんな楽器を何故あなたは作れたのかという疑問があると思いますが、道具は現代のものを使ったので作れたというのが答えです。 復元した「弥生のこと」は完成品が1面と作りかけのものが3面有ります。作りかけの理由は時間がかかる事と、ほかにもやりたいことが多かった。作業をしている所が暑かった。 今年の夏も暑かった。

青谷上寺地遺跡は鳥取県の宝、日本の宝ですから、子どもたちに青谷上寺地遺跡と縄文人、弥生人のすばらしさを知ってもらえれば良いなと思っています。 

 いろいろなことに興味を持っていろいろな事を考えていますが、今年は青谷上寺地遺跡つながりで、古代の楽器について考えています。 「こと」について考えることは多くて、一応考えたことはまとめてみました。 ただ、今回は「こと」の話ではなく、楽器の名前について書いてみようと思います。

 正倉院の宝物に螺鈿紫檀五弦琵琶という楽器があります。 琵琶という楽器で紫檀という材質で出来ており、螺鈿細工がされている五弦の楽器という事がよくわかります。 五弦の琵琶、四弦の琵琶というのが楽器の名前だと思います。 ところで、正倉院には尺八もあります。楽器の名前は尺八となっています。現代のものより小さいですし、材質は翡翠とか象牙ですが、竹を模して造られており、わざわざ竹の節があります。 楽器の名前が尺八というのは奇妙に思います。尺八というのは長さの事だから、五弦の琵琶という名前のつけ方からすれば1尺8寸の○○というのが正規ではないかと思います。 1尺8寸の○○から○○が取れてしまったのでしょうか。○○は何だったのでしょうか、疑問です。 唐から日本に伝わって来た時に、すでに尺八と言われていたので、正倉院には尺八と書かれていたのだと思います。

正倉院尺八と現代の尺八は長さがまったく違います。単位長さが変わっても18寸としたのはそれなりの理由があったのだと思います。 まったくの私見ですが18寸に意味があったのではないかと思っています。 それは18寸の近くでは長さが1寸違えば半音違います。これが理由かなと思っています。自信はありません。 いい考えがあれば教えていただきたいと思っています。 

もう一つ思い出しました。三絃もそうですね。 日本に伝わる前の沖縄では三線(さんしん)と言っていました。 その前の中国では三弦(三絃)でした。 三本の絃というのが楽器の名前でしょうか。 三絃の△△から△△が取れてしまったのでしょうか。 演奏者にとっては長い名前を省略したのでしょうか。 有名な二胡もそうですね。 胡は楽器の名前ではありません。異民族の蔑称です。胡の人が演奏していた2弦の楽器、もしくは胡から伝わった2弦の楽器という意味だと思います。 こうしてみると楽器の本来の名前のないものも結構あります。途中からなくなったのか、もともとなかったのか。 私は物には名前があると考えるほうですから、もとは名前が有ったのではないかと思っています。

 話は変わりますが、笛は(竹+由)で出来ています。竹に穴をあけて作り、吹いて鳴らす楽器の総称と藤堂明保博士の辞書には書いてあります。(由についてもほかに詳しく書いてあります) 現在では笛といえば横笛を指すことが多いですが、字の意味は必ずしも横笛の事ではないようです。 白川静博士の漢字では由はひょうたんの実が熟して溶け、中が空っぽになった形。 中が空っぽの竹で出来た楽器を笛という、と書いてありました。 縦とか横とかは書いてありませんでした。

 尺八の関連で中国の笛を調べてみましたがすっきりするものがありませんでした。 18寸の縦笛、あまりにも安易ですがここまでしか分かりませんでした。 演奏者にとって楽器はあまりにも自明なので、代表的な長さを言ったのではないかと思います。

 世の中、面白いことがたくさんあるなと思っています。