ニューヨークの風〔肥和野佳子

ニューヨークの風10(2008.9.15)

米国の解雇

日本の国外で暮らしていると、日本では気がつかないことに気がつくこともある。解雇の問題はその一つだ。原則的に正社員の解雇が極めて難しく長期雇用を前提とする雇用慣行の日本と、解雇が極めて簡単で長期雇用を前提としない米国の雇用慣行の大きな違いには、私自身、最初はとまどった。こんなに簡単に解雇があるなんてとんでもないと思った。しかし慣れると米国式の方が意外にも働きやすく、企業にとっても従業員にとっても、なかなか良いシステムだと実感するようになった。

米国では経済が良い時でも、解雇は日常的に存在する。解雇は実に簡単で、解雇に特に理由は要らない。すなわちたんに「あなたが気に入らないから」ということで解雇することもできる。ただ、差別的な解雇(人種、年齢、性別など)として後で訴訟を起こされないように、従業員の実績の査定などの記録保持はかなり慎重に行われる。

解雇は誰にでも起こりうることなので、解雇にあっても別に不名誉なことと隠そうとしない人も少なくない。労働市場で売れる力があれば、解雇にあっても次の職場を比較的容易に得ることができるのだ。現在は景気が良くない時期にあるので労働市場の動きは通常時よりかなり鈍いのだが、基本的に米国の労働市場はとても流動性が高い。解雇が簡単ということは、空ポジションも多いということで、雇用する側も解雇できないリスクを負うことなく、気軽に人材を雇用することができる。

私自身は今のところ解雇になったことはないが、職場の同僚、友人、親せきなどの解雇は何度も見聞きした経験はある。解雇になると、解雇された者が逆恨みして職場のコンピューターの情報を意図的に消去したり、改ざんしたりしないように、いきなり解雇を告げられ、オフィスビルの入り口や職場に入るドアのアクセスカードや社員証の返還を求められ、私物を段ボール箱にまとめて、即刻退去を申しつけられることは普通だ。

数か月前、日本の新聞で、解雇にあった人たちの相談窓口では、一部の在日外資系企業では従業員解雇の際にいきなり解雇で、アクセスカードを取り上げられ、その日のうちに放り出すというあまりにひどい処遇に対する訴えが増えている、という記事を読んだことがある。日本では仰天ものかもしれないが、まさにこれは米国では結構よくある「普通」の光景なのだ。

会社での関係が悪くなると、あらかじめ査定で良くない評価(それが不当であろうとなかろうと)を受けるので、従業員はある程度自分は近い将来解雇になるかもしれないということは察知するものだ。能力が劣る人ばかりが解雇になるわけでもない。優秀でも上司に嫌われて解雇になることもある。解雇の権限は会社の人事部にはなく、事実上自分の職場の上司やその一段階上の上司にある。解雇には様々な事情があると思うので一般化できないが、解雇になりたくない人は新しい職場を探し始め、解雇手当をもらいたいという人は解雇されるのを待つこともある。

 日本では企業は一旦雇った正社員は極めて解雇しにくい仕組みになっているから、人員を減らすときはまず新規採用を控える。そこでいきなり若者ばかりにしわ寄せがくる。同じ内容の大学生がいたとして、大学卒業時の景気で一生が左右されるほどの雇用の不公平がある現代の日本の雇用システムは何かおかしいと私は感じる。

企業にとって仕事の内容に比べて年収が高くなりすぎている従業員を解雇するのは正当なことだとも思う。とくに中高年の雇用が守られすぎていることが、若者の雇用不安に直結している。そしていったん労働市場から離れた女性たちが正社員の職を得ることが極めて困難になっていることにもつながっていると思う。

労働市場がもっと流動的ならば中高年も若者も女性ももっと働きやすくなると思う。サラリーマンなら「こんな会社辞めてやる!」とほとんどの人が思ったことがあるだろう。 しかし実際には次の仕事を見つけることに不安があるので、がまんして踏みとどまって、いやがらせされても、しがみついたりする悲惨なことになることもある。これが幸せな仕事人生だろうか。雇用さえあればいいというものではないだろう。もっと自分の才能を発揮できる職場がほかにあるかもしれないのに。解雇にあってもそれを機に自分がそれまで気がつかなかった適職を見つけることもある。

いやならさっさと辞められる、または辞めてもらえる米国式のほうが企業にとっても従業員にとっても良いことだと自分の経験でつくづく思うようになった。実際、日本ではいったん労働市場から離れた一定の年齢以上の女性はその後正社員の職を再び得るのは難しく、年収の低いパートタイムの職しか得られないという理不尽な現状がある。

  私は32歳の時にニューヨークの米国企業で働き始めた。その後数回の転職を経験。中高年の女性でも米国の労働市場では、売れる力(雇用される能力:Employability)があれば、正社員の職は結構すぐ見つかる(特別な不況時では時間がかかる)。50歳過ぎでも見つかる。会社は長期雇用を前提としていないので5未満で辞めてもまったく問題ない。女性は育ててもすぐ辞めるなどと会社に言われることもない。男性も5年未満で辞める人は多い。配偶者の地理的移動があっても新しい場所で正社員の職を得ることも難しくないので既婚者が単身赴任などする必要もない。

いつでも労働市場で自分が売れる人材であるように自分を磨く努力をしなければならないという厳しさはあるが、それはある意味で当たり前のことだ。自分が高まっていくのは自分にとっても喜びだ。とにかく流動性が高い労働市場の方が働いてみて働きやすいのだ。

日本の雇用が過保護でありすぎることが、日本の労働市場の流動性を妨げ、日本の経済成長を妨げる足かせの一つとなっているという論は、すでに一部の学者たちからも指摘されているし、国際的にも指摘されている。雇用を守るイコール良いこと、解雇イコール悪いことと当たり前のように考えるのは危険かもしれない。現代社会の速い変化に伴ってアメーバのように変化可能な労働市場の流動化が今後の日本社会にとって極めて重要と思う。もちろん反論はたくさんあるだろうが、一つの考え方として、解雇について政府もマスコミも国民ももっと真剣に考える機会をもつのも悪くないと思う。